学会情報

中国史史料研究会 会報創刊号:試し読み

会報創刊号表紙

表紙は東亜同文書院 虹橋路校舎正門。


亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第2回」

2017年の3月下旬、約3ヵ月前に応募したことなどほぼ忘れ去っていた頃、突然台湾大学から電子メールが届いた。「書類審査に通過した。4月上旬に模擬授業と面接を行うので、台北に来るように」という内容であった。

前回も述べたとおり、日本の大学でさえ私は書類審査ですべて落とされ、面接や模擬授業の段階まで進んだことがなかった。だからまず、書類審査を通過したこと自体に腰が抜けるほど驚いた。何よりも先に驚きがあったので、喜びやうれしさの感情はほとんどわかなかった。そして直後に、模擬授業の内容を見ていっそう暗澹たる気分となった。

模擬授業は2科目。それぞれ10分間ずつ行う形式であった。まずは日本史。これはまあいい。問題はもう1科目だ。日本語の会話・作文・翻訳の3科目から籤で1科目選んで行うという指示であった。

私はこれまで中世日本の歴史、それも主に南北朝時代の室町幕府の政治史・制度史ときわめて狭い分野の研究しか行っていなかった。日本語文法の知識など、せいぜい義務教育レベルでかなり忘れ去ってしまっている。日本語を教えた経験も、外国人相手はもちろん日本人対象でさえ皆無である。しかも「中国語(北京語)」もまったくできないのに、翻訳の模擬授業をする可能性まである。おまけに、準備期間もせいぜい2週間程度しかない。これを駐車場の仕事を続けながらやれと言うのか?……


佐藤信弥「世界漢字学会 第6届年会 参加報告」

○学会の概要

世界漢字学会は2012年に創立された比較的新しい学会であり、韓国の慶星大学内の韓国漢字研究所に事務局を置く。学会ホームページのURLは http://www.waccs.info/ である。韓国語のサイトだが、英語・中国語への切り替えもできる。

2013年以降、年1回国際学術研討会を開催しているが、「世界漢字学会」の名称通り各国の持ち回りで開催するのを特徴とする。毎回の主催者としては世界漢字学会・韓国漢字研究所のほか、中国の華東師範大学中国文字研究与応用中心も入っている。2019年現在の会長は華東師範大学中国文字研究与応用中心の臧克和氏、秘書長は韓国漢字研究所の河永三氏で、その他日本も含めて国別の会長と理事職も設けられている。

○エントリー

世界漢字学会では毎年1月前後に発表者のエントリー受付を開始し、9月前後に国際学術研討会が開催される。第6届年会は少し遅く、2018年10月5日(金)~10月8日(月)に開催された。ただし初日の5日は受付のみで、最終日8日は帰国日である。第6届年会の正式名称は「世界漢字学会第6届年会 “漢字認知工具与表意文字歴史研究”国際学術研討会」である。毎回このようにテーマが設定されるが、テーマが関係する発表は、学会幹部による全体での主題発言(テーマ発表)のみである。

筆者は2017年9月に中国の三峡大学で開催された第5届年会より参加している。今回の第6届年会は、筆者のほか、所属先の立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所より杉橋隆夫所長及び客員研究員の大形徹・名和敏光・張莉・山田崇仁の諸氏が参加し、その他日本からは福岡国際大学の海村惟一氏が参加した。……


広中一成「東亜同文書院の変遷」

東亜同文書院の開校

20世紀が始まった1901年から終戦までのおよそ45年間、中国上海に東亜同文書院(1939年に大学へ改編)という日本の若者が通う学校がありました。なぜ、戦前の上海にそのような学校があり、戦争へと進むなかで、学生たちはここでどう過ごしたのでしょうか。
東亜同文書院を創設したのは、東亜同文会という民間団体でした。1898年、東亜同文会は、ヨーロッパ列強の進出に対するアジアの連帯、いわゆるアジア主義を理想に掲げ、東京で発足しました。会長には、当時の代表的なアジア主義者で、貴族院議長を務めた近衛篤麿(近衛文麿元首相の父)が就任しました。

東亜同文会は、日本の隣国である中国(清国)との連帯には、まずそれを担う人材を育成しなければならないと考えました。そのために、東亜同文会は、清国政府要人の同意を取りつけ、1900年、南京に東亜同文書院の前身となる南京同文書院を設立しました。同院には、日本国内で選抜された若者数十人が入学しました。

しかし、開校後まもなく、華北で広がっていた義和団事件の混乱が南京にも及び、学生たちに危険が迫ったことから、校舎を上海郊外に移し、校名も東亜同文書院と改めて再出発しました。

ところで、なぜ南京同文書院の移転先が上海になったのでしょうか。もともと、上海には、1890年に日本陸軍将校の荒尾精が日中の貿易実務者を養成する機関として設立した日清貿易研究所がありました。しかし、研究所は資金難から開設からわずか3年で閉鎖を余儀なくされました。

荒尾とともに研究所の運営に当たった根津一は、1896年に荒尾が亡くなると、日中の経済提携を夢見た荒尾の意志を引き継ぎ、旧知の近衛に上海に研究所に代わる学校を設立するよう働きかけました。近衛はこの根津の熱意に賛同し、南京から研究所のあった上海郊外に学校を移転させることを決断しました。

東亜同文書院に入学するには、毎年日本各地で実施される試験に合格しなければなりませんでした。はれて東亜同文書院生となると、合格者が揃って船に乗って上海に渡り、院内の寄宿舎で教職員学生全員と卒業までの三年間、共同生活を送りました。……


綿貫哲郎「中国史”論文”の集め方(簡易版)」

0.はじめに

私事で恐縮だが、歴史の本を読み始めた小中学生の頃、興味ある人物や事件などの情報が関連書だけは全く足りなくて、漫画や小説・同人誌を集めたり、無謀にも原史料の翻訳を試みて知的好奇心を満たそうとした。

現在は大学で教えながら論文を書く私だが、歴史創作や視覚的に美化されたキャラクターを通した歴史の楽しみ方に、当然異論はない。また近年では、優れた歴史愛好家や“在野”研究者の“研究成果”も多い。

本稿では、“研究成果”のうち“論文”の集め方を、初学者向けに紹介する。なお本稿の“論文”は、主に大学生以上が研究で使うものとする。

1.論文

論文とは、“ある学術的問題点について論拠を示して論理的に証明した文章”を意味する。“ある学術的問題点”を学界向けに論じるので、専門用語が多く難解である。とはいえ、集め方や読み方さえ間違えなければ、情報量が詰まった知的好奇心を満たす有力なツールのひとつとなろう。

論文には、文中に“先行研究”があり、頁下や文末に“注(“註”や“注釈”ともいう)”・“参考文献”などがあるので、発行年の新しい順に集めれば、“イモヅル式”に関連論文を探し出せる。

論文は、複数の論文(複数人または1人による執筆)が1冊に収められた廉価な本があったり、論文集と名の付く発行数の少ない高価な本(共にISBN[国際標準図書番号]が付く)がある。一方、“論考”・“論説”または“研究ノート”などと称されて、研究年報や紀要といった定期刊行物(ISSN[国際標準逐次刊行物番号]が付く。本稿では学術雑誌を指す)に載録される論文もある。定期刊行物は、普段は専門書店か大学図書館で目にするぐらいだが、近年では様々な事情でオープンアクセス化されたものが増えている。……


平林緑萌「前漢功臣伝抄 第1回 奚涓」

■「功臣表」とはなにか

前号で予告した通り、前漢王朝建国の功臣たちについて、具体的な検討に入ることにしよう。今回は予告の通り、『史記』功臣表で功第七位にあげられる奚涓を取りあげる。

彼についての検討に入る前に、まずは史料として活用する功臣表がいかなる性格を持つものであるか、簡単に整理しておこう。

いったい、『史記』で一般に好んで読まれるのは列伝や本紀である。もっと突っ込んで言うならば、列伝や本紀に見える「説話」が好まれているということになろうか。

わかりやすいストーリーがあり、人物造形など設定のある説話とは異なり、表は文字通り表であるから、わかりやすい面白さがある史料ではない。

また、教材や一般書としては扱いにくいため(文庫本等でも割愛され訳出されない)、『史記』やその記述する時代に興味がある方でも、触れたことがあるという人は少数だろう。

しかしながら、歴史研究のための史料としては、非常に価値のあるものと言える。

さて、『史記』には、以下のとおり10の表を収める。

  1. 三代世表
  2. 十二諸侯年表
  3. 六国年表
  4. 秦楚之際月表
  5. 漢興以来諸侯王年表
  6. 高祖功臣侯者年表
  7. 恵景間侯者年表
  8. 建元以来侯者年表
  9. 建元已来王子侯者年表
  10. 漢興以来将相名臣年表

これらのなかでも特に、現在『史記』中にしか記されない情報を含んでいる六国年表以降は非常に興味深い史料である。本連載でしばしば用いることになるであろう功臣表は、ご覧の通りおおよそなかほど、5番目に位置する。

内容としては、高祖・劉邦が「統一」達成後に、楚漢戦争における功績を賞して列侯(二十等爵の最上位。当時は「徹侯」だがここでは列侯に統一する)にした者のリストで、侯国がどのように受け継がれていったか(断絶したか)も記録されている。

芳しからざる理由で断絶(「国除」という)の憂き目に遭う場合も多く、侯第(順位)や侯功(列侯事由)についても恵帝期以降の後筆が入った可能性はあるが、いずれにせよ漢王朝の記録を元にしたものであり、一種の「公式見解」ともみなせる史料である。……


佐藤信弥「中国時代劇の世界 第2回『三国志:Secret of Three Kingdoms』」

2018年に騰訊(テンセント)で配信された作品で、全54話構成である。後漢最後の皇帝献帝は、実は若くして病没しており、密かに養育されていた双子の弟が替え玉として擁立されるという設定の歴史イフ物である。原題は『三国機密之潜龍在淵』。馬伯庸の小説『三国機密』をドラマ化したものである。馬氏は本作のような「考拠型懸疑文学」のほか、中国版『1984年』の趣がある『沈黙都市』(原題『寂静之城』。ケン・リュウ編『折りたたみ北京』、早川書房、2018年に翻訳が収録されている)のようなSF小説も発表している。

制作は、これまで人気ゲームのドラマ化作品『仙剣奇侠伝』や、日本でも話題になった『宮廷女官 若曦』(原題『歩歩驚心』)など、若者向け時代劇のヒット作を手がけてきた唐人影視である。主役に馬天宇、主人公を支える若き日の司馬懿役に韓東君など、主要な役柄にいわゆる「小鮮肉」(旬のイケメン俳優)を配役しているが、従来唐人が得意としてきたジュブナイル的な時代劇を超えようとする意気込みが感じられる。脚本の常江は、本作と前後して放映・配信された『三国志~司馬懿 軍師連盟~』(原題第1部『大軍師司馬懿之軍師聯盟』、第2部『虎嘯龍吟』)でも脚本家として制作に参加しており、両作は設定やストーリー上補い合っているような趣がある。

主人公劉平は出生後すぐに宮中から連れ出されて弘農楊氏の一族楊俊の子楊平とされ、温県司馬氏のもとに預けられて司馬懿と兄弟同然のように育てられた。そして建安4年(199年)。董承らによる曹操誅殺計画や官渡の戦いの前後の時期だが、『三国志~司馬懿 軍師連盟~』もこのあたりの時期から物語が始まる。この年に彼は養父楊俊によって引き取られ、楊彪・楊修父子から自分が皇帝劉協の双子の弟であったことを知らされる。そして兄嫁にあたる弘農王妃(董卓によって廃された少帝劉弁の妃)唐瑛の手引きで皇后の伏寿と対面し、夭逝した兄と入れ替わる形で正体を隠して皇帝となり、曹操の勢力の排除と漢王朝中興という劉協の遺命を果たすことを求められる。楊平は楊俊とともに許都に向かう途上で匪賊に襲撃されて死んだということにされ、以後は劉協として生きることになる。先頃『二度目の人生を異世界で』という作品が物議を醸したが、本作は差し詰め『二度目の人生を献帝で』とでも言うべき内容である。……


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