学会情報

中国史史料研究会 会報第11号:試し読み

表紙は九份(台湾)の風景。


亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第12回」

中国語の勉強の続き。
先生は、年輩の女性である。日本語が話せる方だが堪能というほどではないので、ときどき中国語の細かい文法やニュアンスなどがわからないことがある。前回述べたように教科書の説明も英語なので、私は日本の大学で教えている中国語の文法等に関する専門用語なども一切知らない。しかし、中国語を中国語として理解できるので、それがかえっていい方向に作用している気がする。また、逆に私が先生に日本語を教えることもある。
教科書の最初は、発音と四声および授業中によく使う単語などがかなりの分量で紹介されている。漢字はまったくなく、ピンイン(中国語のローマ字)と英語だけの解説である。当然はじめにこれを全部するのかと思ったが、先生がこれは退屈だと言っていきなり第1課から始めた。前回紹介した注音符号も覚えなくてもよかった。……


池田修太郎「岡本隆司『シリーズ中国の歴史⑤「中国」の形成 現代への展望』(岩波書店、2020)」

本書は岩波書店の「中国の歴史」シリーズ、その発起人である著者による最終巻である。著者は近年極めて精力的に一般向けの書籍を刊行し続けているが、本書もそうした成果物の一つと位置付けられよう。
著者はまず近年のグローバル・ヒストリーを代表する学説である「大分岐」を取り上げ、「大分岐」以前のアジアをヨーロッパと均質であったとしている点がこの学説の新しさであるとし、これを「「西洋」中心史観の非を悟り始めた西洋人なりの反省」とする。その上で、こうした言説がなお東アジアに対する精確な理解とはなっていないことを批判し、「大分岐」の前提をなす「十七世紀の危機」、そしてそれに先立つ十六世紀のカオスの中で生まれた多元化の状況をいかに収拾するかという世界史的な課題に東アジアで立ち向かい、一つの答えを出したのが清朝であると説く。……


佐藤信弥「東洋学の名著 第二回:顧頡剛『ある歴史家の生い立ち―古史辨自序―』(平岡武夫[訳]、岩波文庫)」

本書について

本書は『古史辨』の第1冊の巻頭に掲載されていた顧頡剛による「自序」を翻訳したものである。『古史辨』は顧頡剛ら「疑古派」と呼ばれる学者の書簡や論文等を収録したものであり、1926年から1941年にかけて全7冊が刊行された。特に第1冊の自序は顧頡剛の学問の由来、背景、そして彼の名を高からしめた「層累地造成古史観」(累層的に造成された古史観)などの学説の概要を記した自伝と言うべきものである。
平岡武夫による日本語訳はまず『古史辨自序』の題で1940年に創元支那叢書として刊行された。その後1953年に『ある歴史家の生い立ち―古史辨自序―』と改題のうえ岩波新書として刊行され、1987年に岩波文庫として刊行された。また日本語訳に先立って英訳版が刊行されている。

著者と訳者について

著者顧頡剛は1893年、清朝の光緒19年に生まれ、1980年に没した。出身は江蘇省の蘇州である。彼の前半生の経歴は本書でも触れられている。簡単にまとめておくと、1913年(民国2年)に北京大学の予科に入学。1916年に北京大学の本科に進学し、哲学科に入った。卒業後も母校にとどまり、大学図書館に勤務する。1921年には北京大学研究所国学門の助教となるが、家庭の事情もあり、一時大学を離れて上海の商務印書館に勤務している。「自序」が執筆され、『古史辨』第1冊が刊行されたのは、北京大学に復職した後の1926年のことである。33歳の時のこととなる。……


平林緑萌「前漢功臣伝抄 第11回 張蒼──劉邦に投じた秦の官僚」

■軍功とぼしき功臣

いわゆる高祖功臣たちについては、一般的に顕著な軍功を持つ者たちであるという認識がなされている。
しかし、本連載でこれまで触れてきたように、たとえば項羽一族はある種の政治的要請が背景にあり、また奚涓などは劉氏の縁戚関係が理由であったと考えられるなど、その内実は一様でない。沛の門を開けた秘彭祖(百十六位、千二百戸)や、劉邦の急用に馬を用立てた単父聖(百二十五位、二千三百戸)などについても述べた。
幾度か触れた蕭何や、まだ取り上げていないが張耳の子である張敖なども純粋な軍功が理由とは言えない。
今回取り上げる張蒼も、軍功ではなく、むしろ行政における手腕によって重用され、丞相にまで上り詰めた人物である。
この張蒼、もともとは秦の御史という職にあった。

■前線では使えない男

張蒼は、『史記』に「張丞相列伝」という伝(周昌、任敖、申屠嘉の伝も含んでいる)が立てられている。その記述に基づき、彼の経歴を追っていこう。……


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