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学会情報
5.22022
中国史史料研究会 会報第18号:試し読み
表紙は龍門石窟(河南省洛陽市)。
赤坂恒明「苟且図存(かりそめに存を図らんとせば)―内モンゴル大学における一日本人モンゴル史研究者の教育活動―(五)」
内モンゴル大学モンゴル歴史学系からの招聘に応じました後は、待遇に関する具体的な条件に関する相談となりました。
まず、「提供」される住居(宿舎)についてです。
ボヤンデルゲル教授からは、「学校直接提供100平米左右的住房」(学校は100平方メートルほどの部屋を直接提供する)と伝えられました。これにつきましては、「住房内に大量の書籍を入れるので、建造物が頑強でなければ、床が抜け落ちる可能性が有る。建造物が頑強でない場合は、補強工事を施していただきたい」と要求しました。
そもそも、内モンゴル大学の教員宿舎は、従来の「北区」(北キャンパス)構内と、新たに造成された「南区」(南キャンパス)近傍との、二箇所にあります。どちらも、いわゆる「蒲鉾型」のアパート群です。
「北区」構内のアパートは、古いとはいえ、見るからに頑丈そのもののコンクリート建造物です。また、学部事務室や教室、大学図書館からは至近距離で、通勤と図書館通いにも至便です。一方、「南区」方面の新しい宿舎は大学の構内にはなく、通勤に非常に不便であるばかりでなく、半端ではない重量の書籍に耐えうる構造であるのか、一抹の不安がありました。そのため、頑強な建造物の宿舎を要求すれば、最初から「北区」構内の古い教員宿舎を「提供」してもらえるであろう、と考えました次第です。……
亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第19回」
今回は、台湾の交通について書いてみたい。
筆者が旅行したことのある外国の中で、自動車の運転が最も荒かったのは中国の大連である。市街地から空港までの4車線の道路を、自動車が5列に並んで時速100キロ以上でぶっ飛ばしていた。そして3箇所くらいで接触事故が起こり、どっちがどっちかわからない加害者と被害者が車から下りて大声で喧嘩していた。筆者が乗っていたタクシーも何度か事故を起こしそうになり、内心恐怖を覚えた。
逆に運転がいちばんおだやかであったのは、最近話題のロシアである。ウラジオストックの自動車は本当にゆっくり運転であった。道路を横断する気がなくても、歩道に立っているだけですぐに止まってくれる。もっとも、ロシアで走っているのは日本や韓国で廃車になっているような、車体がボコボコで砂や泥で汚れた中古車ばかりである(ロシア人は洗車の概念がないらしい)。せいぜい時速40キロ程度しかスピードを出せず、そもそも暴走することは不可能である。筆者が乗っていた国際学会のバスも雨漏りがして、「車検は通っているのか?!」と叫んだら韓国人の通訳の女性に「そんなこと言わないの!」と叱られた。
では、台湾はどうなのか?……
山田 崇仁「中国古代史研究入門(その2)」
■はじめに
連載の2回目である。
前回は、筆者がメインとする研究領域の時代区分について、あれこれと述べてきた。では、その時代をどのように研究するのか? 今回からそれについて述べてみよう。
今回のテーマは「カレンダー」である。
筆者は歴史学について、地球上の特定の地域・時間を対象とする学問領域であると定義付けている。また歴史学の手法についても、資料と時空間とを紐付けし、資料やその記述内容の差異を時空間を軸として比較検討するのがそれであると位置づけている。この定義は人によって多少異なるかもしれないが、過去のどこかにあったものが、歴史学の対象となることは認められるだろう。
そこで重要になるのが、資料を時空間に紐付けする作業である。これに「誰が」・「誰に」・「何を」辺りの情報が加われば、資料の解像度が更に上がる。最低限資料が作られた時間情報を明らかにしないと、研究には危なくて使えない。
歴史学で最低限求められる時間情報の基盤は、資料を配置するための「カレンダー」である。現代の我々が使っているカレンダーと、過去のある地域・文化集団で使用していたカレンダーとは作成理論が異なるため、自分の研究対象の文化集団が使用していたカレンダーを復元し、「大体何年前」・「この辺り」・「これより前(後)」程度の精度でも構わないので現在と紐付けする作業をする必要がある。これができて始めて、資料の時間情報を(研究者が)比較可能となる。
■中国史とカレンダー
現在、日本で使用しているカレンダーは、グレゴリオ暦にもとづいたものであり、加えて年数に関しては、西暦と元号(君主の在位中は一つの元号しか用いない一元一世の制)の二つを併用している。西暦と元号が一対一にならない場合があるのは、数年前の平成―令和の代替わりの経験が記憶に新しいと思うが、これは中国史上で使用されたカレンダーどの関係においても同じことである。……
山田 崇仁「中国史家の目を通してみる羽生結弦」
■はじめに
今年の二月に、北京で冬季オリンピックが開催されたことは記憶に新しい。新型コロナウイルスの影響で、中華人民共和国に赴いての研究・調査もままならぬこのご時世では、映像を通してみる北京の風景ですら、筆者にとって一時の癒やしとなった。
オリンピックの様子は、日本のマスコミはもとより、開催国である中国からも数多く発信されていた。その中でも特に力点を持って報道されていたのが、フィギュアスケート男子シングルの羽生結弦選手である。羽生選手はソチ・平昌オリンピックの金メダル獲得に加え、ジュニア・シニアのタイトル全てを総なめするスーパースラムも達成している、大レジェンド選手である。
中国における羽生選手の知名度・人気は、非常に高い。その人気の高さは、2022年3月下半期の書籍販売ランキングで、彼の自伝『蒼炎』・『蒼炎2 飛翔編』の中国語版が『新華字典』や学習参考書に互して5位・6位入りしていることにも明らかだろう。また、2021年10月に中華人民共和国外交部報道官の華春瑩が記者会見で、羽生選手のファン向けに「羽生結弦の応援は私たちに任せてください」旨のコメントを発している。
中国での羽生結弦人気について、その理由が各種マスコミで色々推測されている。その一つとして挙げられるのが、外国人選手へのフレンドリーかつ謙虚な態度などの人格面での肯定的評価である。それに加えて、外国人選手の母国文化や風習に対するリスペクトを欠かさない態度が、中国の人々の間に大いなる尊敬をもたらしているようだ。……