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学会情報
1.122025
中国史史料研究会 会報第34号:試し読み
表紙は台北101(台湾・台北市)。
赤坂 恒明「苟且図存(かりそめに存を図らんとせば)―内モンゴル大学における一日本人モンゴル史研究者の教育活動―(二一)」
2018年4月4日に訪れました如意開発区の内蒙古文化音像出版社にて、購入する音源資料の代金を支払うべく副社長室に戻りましたところ、室内の長椅子に年配の男性が腰かけていらっしゃいましたが、副社長さんによりますと、社長さんとのことです。
私はフフホト滞在時には、しかるべき方にお会いした時に献呈できるようにと、自身が「編集協力」をした『内モンゴルを知るための60章』を持ち歩くように心掛けておりましたが、その日もちょうど持ち合わせておりました。本書には、内蒙古文化音像出版社発行のDVD『東帰英雄』と、CD箱物2点 ─ 本連載の第18回と第19回で紹介した、新疆ウイグル自治区ボルタラ・モンゴル自治州精河県の新トルゴートのオルティンドー(長い歌)集、および、同自治州のチャハル音楽集 ─ の写真が掲げられております。そこで、社長さんに当該の頁を示しまして、本書を進呈いたしました。
そして、少々、自己紹介らしき話をしておりましたところ、社長さんから、「上の階のオフィスへ行こう」と誘われましたので、しばし後、社長さんに連れられて一緒に階段を上がり、「1111 董事長助理 副総経理 内蒙古電影集団」と表札が掲げられている執務室に通されました。
執務室では、社長さんが手ずから中国銘茶「白茶」─ おそらく「白毫銀針」─ を振る舞って下さりました。誠に結構なお茶を味わいつつ、いろいろとお話を伺いました。……
亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第34回」
今回は、私が参加している「日本近現代文学研究会」という読書会について書いてみたい。
4年ほど前のある日、この会にお誘いいただいた。拙著『南朝の真実』(吉川弘文館、2014年)や『観応の擾乱』(中央公論新社、2017年)を取り上げたいという。
日本中世史で研究会と言えば、ほとんどが史料を読む形式である。そのため、論文そのものを読むということは滅多にしない。私は学部生の頃に一度だけ、京大で先輩方にそういう形式の会を開いていただいたことがある。古澤直人『鎌倉幕府と中世国家』(校倉書房、1991年)と新田一郎『日本中世の社会と法』(東京大学出版会、1995年)を取り上げた。古澤氏の見解を新田氏が批判しているのだが、少なくとも実証的な史実レベルでは両者の認識にほとんど差異はないのではないかという意見を述べたら、斬新だと褒めていただいた記憶がある。
そういった次第なので、文学の読書会がどんなものなのか、まったく想像すらつかなかった。しかし、せっかく拙著を取り上げていただけるのはありがたい。また今までの自分になじみのない学問分野に接し、新たな知見を広めたいという思いもあった。そこで快く参加を承知した。
だが、繰り返すようにどのような形式なのかがわからない。古澤・新田著書を読んだときのように、事前に要約レジュメを作って内容を説明する必要があるのだろうか。その点を問い合わせたら、今回は特別に参加者のみなさんが私に質問したいことをまとめたメモを渡していただいて、それを基に私が事前にある程度回答を考えることになった。……
佐藤信弥「甲骨四堂と日本」
はじめに
「甲骨四堂」とは、中国近代の甲骨学において多大な貢献をした4人の学者、すなわち羅振玉(雪堂)(1866~1940年)、王国維(観堂)(1877~1927年)、郭沫若(鼎堂)(1892~1978年)、董作賓(彦堂)(1895~1963年)を指す。それぞれ字や号に「堂」の字を有するので「甲骨四堂」と称される。
甲骨文は一般に清朝末期の1899年に王懿榮(1845~1900年)と劉鶚(劉鉄雲)(1857~1909年)によって発見されたとされている。このうち王懿榮は甲骨文発見後まもなくして発生した義和団事件の際に自害してしまうが、劉鶚は王懿榮の甲骨文コレクションを図録『鉄雲蔵亀』として出版し、経学者としても著名な孫詒譲(1848~1908年)らとともに甲骨学最初期、第1世代の学者と見なすことができる。
これに対して甲骨四堂は、劉鶚と親交があり、年齢も比較的近い羅振玉を除けば、第2世代の学者ということになろう。本稿は彼ら4人の甲骨学における貢献と日本や日本人との関わりをまとめたものである。
1.羅振玉と王国維
まずは年長組の羅振玉と王国維から見ていこう。この2人は師弟であり、また後に王国維の長男と羅振玉の三女の結婚によって姻戚となった。
羅振玉の甲骨学における貢献としては、当初現在の河南省湯陰県と言われていた甲骨の出土地について、弟の羅振常による調査を通じて現在の河南省安陽市の小屯村であることを突きとめたことが挙げられる。甲骨学の論著としては『殷商貞卜文字攷』や『殷虚書契考釈』、甲骨文の図録として『殷虚書契前編』『殷虚書契後編』などを出版している。
王国維の方は、甲骨文が殷代後期の王朝の占卜の記録であることを明らかにし、甲骨文から殷代当時の殷王の系譜を復元したこと、また「紙上の材料」(漢籍)と「地下の材料」(甲骨金文)を併せ用いて研究を進める二重証拠法を提唱したことで知られる。主要な論著に「殷卜辞中所見先公先王考」「殷卜辞中所見先公先王続考」「殷周制度論」『古史新証』などがある。
この2人の出会いは、清末に羅振玉が上海で東文学社を設立したことからはじまる。……
佐藤信弥「西南大学漢語言文献研究所建所四十周年紀念会参加報告」
2024年11月15日から11月18日にかけて、重慶の西南大学で西南大学漢語言文献研究所建所40周年紀念会曁古文字与古文献国際学術研討会が開催された。筆者の所属する立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所からは大形徹、名和敏光と佐藤信弥の三名が出席した。学会の配付資料によると、西南大学漢語言文献研究所は1984年に『漢語大字典』の編纂グループのひとつとして、当時の西南師範学院(西南大学の前身)に設置されたとのことである。現在は古文字学、文献学、中国語学のほか、トンパ文字など西南地域の少数民族の文字や言語の研究を中心に教育・研究を行っている。2024年現在の所長は古文字学が専門の孟蓬生氏で、機関で発行している雑誌に『出土文献綜合研究集刊』がある。筆者は今回の学会参加のお誘いを厦門大学中文系の李無未氏、ついで大形氏から受けた。今回の学会参加者はオンライン発表も含めて139名とのことである。
(一)報到
今回も出発前からトラブルが続出した。私事になるが、まず筆者が出発の二週間ほど前に感染性の腸炎となり、持病の関節リウマチの治療の都合上免疫抑制剤を使用しているので治りが遅くなるのが危惧された(幸い出発までにはほぼ完治した)。そして同居の父親がウイルス性の結膜炎となり、家族への伝染が危惧された(これも幸い伝染はしなかった)。極めつけは認知症の母親が徘徊して顎を負傷し、緊急入院したことである。出発直前まで父親ともどもその事後処理に追われた。
通常、中国や台湾の学会では開催までにプログラムが通知されるが、今回は現地に到着するまで通知されなかったことも不安要因であった。私事も含めてこうした様々な不安を抱えつつ、大形氏と私はソウルのインチョン国際空港経由で重慶に向かうこととなった。……