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学会情報
7.32025
中国史史料研究会 会報第36号:試し読み

表紙は陳氏書院(中国・広東省広州市)。
赤坂 恒明「苟且図存(かりそめに存を図らんとせば)―内モンゴル大学における一日本人モンゴル史研究者の教育活動―(二三)」
2018年4月5日昼過、内モンゴル文化音像出版社社長の臧志君先生と別れた後、中国航空(Air China)のフフホト支店を訪れるべく、フフホト市街を東西に走り、東進すると飛行場へと到る「新華大街」~「新華東街」を、Nさんと共に歩いておりました。
その際に、たまたま北の方を遠望してみたところ、フフホト市街地の北方を東西に屏風の如く連なってそびえる陰山(大青山)から、白雲が湧き立ち、物凄い勢いで山から下ってくるのが見えました。
Nさんが言うには、三十分ほどで吹雪が到来するとの由。
案の定、モンゴル高原から南下してきた寒気による吹雪が、まもなくフフホト市内へと押し寄せてきました。
横殴りの雪を伴った強風は断続的に襲来し、その日の午後、私たち二人は、七度にわたって吹雪に遭いました次第です。
その日の朝は、やや寒かったのですが、内モンゴル音楽・芸能界の大重鎮に招かれて懇談する以上は身なりを相応に整えん、と、断熱性は高いものの見た目が野暮ったい厚手のジャンパーは敢えて着ていきませんでした。これぞイキというものでございましょう。……
亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第36回」
金門島2日目。この日もツアーバスに乗る予定だったが、寝坊して出発が遅れたため、バイクで回ることにした。
その前に、民宿の周辺を歩いて散策した。ここは「水頭聚落」という名の集落で、宿泊している「凰毛麟趾」と同じような、華僑が建てた伝統的な住宅が多数ある。彼らが建てた小学校もあり、最近まで使用されていたそうである。銃弾の跡が多数残っている壁もあり、共産党との戦争のすさまじさを感じさせた。
「毛沢東」「蒋介石」という名前のミルクティーを売っている喫茶店もあり、私は蒋介石を飲んだ。日本で言えば、「足利尊氏」「後醍醐天皇」という飲み物を同時に売るようなものであろうか。700年も前の歴史上の人物ならもうかまわないだろうが、激しい戦争の記憶がまだ生々しい土地でこういうのを見ると、なんだか不思議な感覚にとらわれる。
それから、いよいよバイクに乗って出発。まずは、島の中心地である金城鎮の名所を見学した。金城鎮は、島の西南部に位置している。
最初に、翟山坑道というトンネルに行った。前日のツアーもトンネルを散策したが、こちらのトンネルは上陸用船艇が発着できるように秘密裡に掘られたもので海に面しており、内部に船が入れるように水路もある。……
秋山陽一郎「書籍の伝承と流通」
第一節 戦国時代の蔵書
戦国時代は私人による著書の黎明期であったと同時に、個人蔵書が芽吹き始める時期でもあった。『戦国策』には縦横家で知られる蘇秦が夜になると書物の納められた篋を数十個も傍らに陳べて書物を紐解いたとあり、『荘子』には名家で知られる恵施の蔵書量が車五両分にもなることが記されている。
(蘇秦は)秦王を説得しようと十たび上書したが、蘇秦の説は採用されず、……費用が欠乏して、秦を去って帰郷した。……そこで夜中に書物を紐解き、(書物が入った)篋を数十函並べ、太公望の『陰符』という書物を入手し、読みふけってこれを誦んじ、その要所を厳選してその術を(当世の情勢に)推し測ってすり合わせた。書物を読んでいて眠くなると、錐を手に取ってみずから太股に突き刺し、血が踵まで流れた。(『戦国策』秦策一)
恵施の学術は多方面にわたり、彼の蔵書は車五両分にもなるが、彼の思想は雑駁で言説も的外れであった。(『荘子』天下篇)
また『韓非子』にも書物を背負って游行する知識人の寓言が出てくる。道中で会った人物に「知恵者は蔵書なんて持たない」と諭されるなど、暗にこの時期の知識人の「蔵書」が珍しくなかったことが示唆されている。
王寿は書物を背負って旅し、その周への途上で徐馮に逢った。徐馮は言った、「ものごとというのは人のしわざだ。人のしわざというのは、その時々(の状況に応じて)発生するから、知者は決まった事をしないものだ。書物とは言葉だ。言葉は知性から生まれる。(状況に応じてものごとは変化するのだから)知者は書物を所蔵しないものだよ。(それなのに)いまどうして君だけ書物を背負って旅をするのだ?」と。そこで王寿は徐馮の言葉にしたがって、背負っていた書物を焼いて舞い踊った。これゆえ知恵者は言論によっては教えず、蔵書を箱に溜めたりしないのだ。(『韓非子』喩老篇)
一体、彼らはどのようにして書籍を入手し、蔵書を増やしていったのだろうか。……
佐藤信弥「中国時代劇はトロッコ問題にどう向かい合ってきたか」
トロッコ問題というのは西洋倫理学での一種の思考実験である。仮にあなたが鉱山労働者だったとして、鉱山でトロッコに乗っているとする。ところが乗っている途中でトロッコが故障してしまい、制御不能になる。トロッコがこのまま線路を突き進むと、5人の労働者が働いている地点に突入することになり、大惨事になる。不幸中の幸いで、途中で線路の軌道を切り替えるポイントがあり、そこでレバーを引けばトロッコは違う道に進むことができる。しかし切り替えた先にも1人の労働者がいて彼が犠牲になってしまうことになる。
さて、あなたは5人の人間を助けるために切り替えポイントでレバーを引くか、それともたった1人を助けるために敢えてレバーを引かないか、どちらを選ぶだろうか?このようにトロッコ問題では多数の人間を助けるために少数を犠牲にするのか、逆に多数を助けるために少数の人間を犠牲にするのは良くないと判断するのか、簡単には答えが出せない問題に思い悩ませるところにミソがある、正解がない、言ってしまえばたちの悪い問いかけである。ハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンデルがテレビ番組「ハーバード白熱教室」で学生たちへ問いかけとして使用したことで知られるようになった。
筆者は中国時代劇を見ているうちに、いくつかの作品にこのトロッコ問題の構図が取り入れられていることに気づいた。それが最もめだつのは『華の出陣』である。……
佐藤信弥「書籍紹介:岡本隆司『二十四史―『史記』に始まる中国の正史』」
近代アジア史の研究者として多くの学術書、一般書を刊行してきた著者による正史二十四史の概説である。本書の「あとがき」によると、執筆のきっかけは同じく中公新書として刊行された遠藤慶太『六国史』の姉妹篇を求められたからとのことである。本書の構成は本編が5章で、その前後に序章と終章が加えられている。
「序章 歴史と史学」では、中国の学術および漢籍の四部分類、すなわち経(儒家の経書ないしは経学)・史(史書ないしは史学)・子(諸子百家)・集(個人の文集など)の中の史学の位置づけや、史学と儒教との関係、紀伝体、編年体、紀事本末体といった史書のスタイル、通史と断代史など中国の史書や史学の基本事項をザッと解説している。
「第1章 前四史」では、章題通り『史記』『漢書』『三国志』『後漢書』のいわゆる前四史、あるいは後漢の時代に同時代の史書として編纂された『東観漢記』について扱っている。『漢書』は過去を見るための歴史書ではなく同時代の時事・記事にほかならず、『史記』にしても過去の史実にさかのぼっているのは、司馬遷の当時の現代との関連で必要だったからである。そして『三国志』の裴松之の注や『後漢書』に至って、自分たちの淵源がどこにあるかを明らかにしたいという欲求が見られるようになり、これにより著述・学術として歴史意識が明確な形を取るようになったと指摘する。ただ、『史記』の時点での現代との関連で過去の史実を参照するといういとなみは、明確な歴史意識と評価してもよいのではないだろうか。このあたりもう少し踏み込んだ議論がほしかったところである。……