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学会情報
1.42026
中国史史料研究会 会報第40号:試し読み

表紙は迪化街(台湾・台北市)。
赤坂 恒明「苟且図存(かりそめに存を図らんとせば)―内モンゴル大学における一日本人モンゴル史研究者の教育活動―(二六)」
内モンゴル大学に就職する上で必要な就労ビザを取得する手続きのために私自身が日本国内で整えなければならない書類は、①推薦状、②健康診断書、③無犯罪証明書の三点ですが、それらのうち②健康診断書は、当初、普通に近くの病院で発行してもらえばよいものと思っておりました。しかし、中国大使館のHPで確認してみますと、その健康診断書は、大使館が指定する特定の診療機関で発行したものでなければならないということです。
首都圏在住者であれば、代々木駅から至近距離にある「日中友好病院」を利用するのが最も便利です。そこで早速、2018年4月21日土曜日で健康診断の予約を入れておきました。
さて、③無犯罪証明書 ─ 正しくは「犯罪経歴証明書」─ の申請のために千葉県警察本部分庁舎を訪れた翌日、4月18日水曜日の早朝、内モンゴル大学側から電子メールが到りました。そこには、私の「ビザ審査」に必要な、私が用意すべき書類が、次のように列挙されております。……
亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第40回」
パラオ旅行2日目。この日は、パラオの美しい珊瑚や熱帯魚などの海の景色を見る予定である。
朝、まずはホテルからタオルを借りた。そのとき、係員にチップを渡した。パラオはチップの風習がある国である。私はそういう国に来たのは初めてである。
それからホテルのロビーに行き、ツアー会社の方に迎えに来ていただいた。このツアーは日系のロックアイランドツアーカンパニーという会社に頼んだ。前日のバスに同乗していた台湾の方々は同じ台湾の旅行会社のツアーに参加するので、この日は別行動であった。しかし、ほとんど同じ場所を巡ったらしい。
ともかくロックアイランドツアーカンパニーのマイクロバスに乗って、同社の波止場に向かう。と言っても、ホテルのすぐ近くで3分もかからなかったと思う。
ふと気づくと、あちこちにニワトリがいて走り回っている。後で聞いたところによると、これは昔外部の人間が持ち込んだニワトリが野生化したものらしい。現地の人は食べないが、野生のワニがときどき餌にしているという。おんどりは美しくて気高かった。めんどりの後をついて歩くひよこはとてもかわいく、親子の強い絆を感じた。……
秋山陽一郎「劉向・劉歆の校書事業(1):校書の範囲」
ここまで伝本ごとに内容構成を異にするという、紀元前中国書籍の「揺らぎ」を取り上げてきたが、前漢末になって、その「揺らぎ」の解消に挑戦することになる一大国家事業が起こる。すなわち劉向(前79~前8)・劉歆(?~後23)父子、いわゆる「二劉」の校書事業である。本稿では、まず校書の対象範囲を明確にする。
1. 二劉校書の期間
二劉の校書事業は、成帝の河平三年(前26)に始まる。成帝(在位前33〜前7)は、謁者(賓客の取次ぎ役)陳農に天下に埋もれた書籍を捜求させる一方、詔を下して光禄大夫(皇帝の諮問に答える官)劉向らに秘府の書籍を校定させた。「秘府」とは、長安城未央宮内の禁中にある宮廷書庫の総称である。
成帝の時になって、(秘府の)蔵書が酷く散佚していたので、謁者陳農に天下に埋もれた書籍を捜求させた。(また成帝は)詔を下して光禄大夫の劉向に(儒教の)経伝・諸子・詩賦の書籍を、歩兵校尉の任宏に兵書を、太史令の尹咸に数術書を、侍医の李柱国に方技の書をそれぞれ校定させた。(『漢書』芸文志・総序)
この劉向の校書事業は約二十年間続き、綏和二年(前7)三月に成帝が崩御したのと前後して、綏和元年(前8)末頃に劉向も亡くなった。綏和二年四月、哀帝が即位し、哀帝はあらためて劉歆に父劉向の校書事業を引き継いで完遂するよう詔を下した。……
石原明徳「モンゴル・ノモンハン戦跡旅行記」
2025年6月下旬、立命館大政策科学研究科宮脇ゼミのモンゴル・ノモンハン戦跡現地調査の一員として、私は四半世紀ぶりにモンゴルの地を踏んでいた。
今回の現地調査の目的は、国際関係論の立場からノモンハン事件の再評価を目指す共著執筆のためである。
学生時代に蒙古帝国史を学んでいたが、念願かない初めてモンゴルを訪れることができたのは1999年のことだった。当時、私は青森県の片田舎で国の会計機関職員として勤務していたが、社会人としての仕事にもやっと慣れ、忙しい勤務の中でもなんとか1週間の休みを確保し、オフロード・バイクで広大な草原を走る、というツアーに参加することができた。広大な草原と気ままに流れる川の光景は、学生時代から憧れていた蒙古高原のイメージどおりだった。だが、意外にも砂丘や岩山など相応の高低差のある地形がところどころにあり、学生時代に訪れていた中央アジア・ウズベキスタンの平原ともまた異なる光景だった。草原に佇む突厥時代の石人像や丘の頂上に築かれたオボー、草原の巣穴から顔を出すタルバガンの光景が懐かしく思い出される。20世紀末のモンゴルはまだ交通量も少なく、ウランバートルの都市部では韓国製の中古車が目立ち、ひとたびウランバートルを離れると行き交う車は極端に少なく、未舗装道路を走る旧ソ連製GAZトラックが目立つ程度だった。
2021年に開港したチンギス・ハーン国際空港はウランバートル市街から約50kmほどの遠方にあり、ウランバートルまで立派な高速道路が通じていた。ウランバートルへ向かう車窓からは草原の中で群れを成す羊の遊牧が見られるなど、空港近傍はかつてのモンゴルと変わらない光景が広がっていた。……






