学会情報

中国史史料研究会 会報第4号:試し読み

会報第4号表紙・目次(20190909-0246)

 

表紙は大阪府立大学教授 大形徹先生とその研究室。


大形 徹「モノとしての死体の意味 上田信『死体は誰のものか――比較文化史の視点から』」

評者は、仙人の歴史を研究しており、拙著に『不老不死』がある。そこでは、いったん、死ぬことによって仙人となる尸解仙の話を書いている。また拙著『魂のありか』では、肉体を抜け出す魂のことを記しており、当然、「死体」の話もみえる。そのため、本書の内容に重なる部分もいくつかある。拙著は中国思想の観点から記しているが、本書全体を通底するのはモノとしての死体という視点である。

「第五章 3法と死体――近現代」にみえる著者上田信氏の「母の死」が、そのことを考える契機であったという。著者の母は実家で突然、倒れ、そのまま帰らぬ人となった。病院で亡くなった場合とは異なり、警察が検死をしなければいけない。殺人などが疑われる場合は司法解剖をしなければならないという。この状態にあった「母」の「死体は誰の「もの」なのか」というのが著者の問いである。……


亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第5回」

ようやく人生初の常勤職に就いたわけであるが、正直言って喜びや達成感は皆無であった。そもそも拙著の校正や引っ越しの準備などでそんな余韻に浸っているひまはなかったし、言葉も通じない異国での初めての生活、しかもその状態で外国人に日本語を教えるというこれまた初めての仕事を前にして、ただただ不安と恐怖におののいていたというのが本当のところである。

6月下旬に採用の通知を受けてから、台湾大学の新年度の授業が始まる9月中旬までおよそ3ヵ月間ある(台湾は8月から新年度が始まる)。実際に台湾に移住するであろう8月中旬までに限定しても2ヵ月近くある。この間、1回くらいは秋田の実家に帰省できるだろうと考えていたが、実際にはすべきことがたくさんあってその時間はまったくなかった(もっとも、それを見越してゴールデンウィークに1度帰省していたのだが…)。……


佐藤信弥「世界漢字学会 第7届年会参加報告」

○学会の概要
世界漢字学会の概要については、本誌創刊号に掲載した「世界漢字学会第6届年会参加報告」でも触れており、繰り返しになるが再度紹介しておく。創立は2012年であり、韓国の慶星大学韓国漢字研究所内に事務局を置いている。学会ホームページのURLは http://www.waccs.info/ である。

2013年以降、年1回各国の持ち回りで国際学術研討会を開催している。主催者は各回の開催機関及び世界漢字学会・韓国漢字研究所、そして中国の華東師範大学中国文字研究与応用中心である。2019年現在の会長は華東師範大学の臧克和氏、秘書長は慶星大学の河永三氏である。

今回の正式名称は「世界漢字学会第7届年会“面向世界的漢字研究重要領域及課題”国際学術研討会」で、開催機関は筆者が所属する立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所(以下、立命館白川研)、日程は2019年9月26日(木)~30日(月)である。開催期間は通常4日間のところ、今回は発表予定者が計83名と多数にのぼり(前回の第6届は31名)、かつ一般向けの講演会を日程に組み入れた都合で、1日増えている。日韓関係が思わしくない折りであるが、学会の事務局スタッフを含めて多数の韓国人研究者が来日した。……


山田崇仁「なぜ「漢語」・「漢字」には「漢」が付いているのか?」

中華文明の中で生まれ育った様々な事物やその地域そのものをどのように表現するかについて、伝統的にその時々の中国本土=メインランドチャイナの世界「以外」では、中華王朝の国号を使用することが多かった。たとえば我が国においては、古来中国本土からの輸入品を「唐物」と呼んで珍重していた歴史があり、西方世界においても秦が転訛して英語のチャイナになり、契丹がキャセイとなったのもまたよく知られている。
その中で、言語に関する表現に「漢語」「漢字」「漢文」「漢音」等、「漢」が冠されているのはなぜだろうか。筆者の経験上この話題については、「漢字」という表記を説明するときに目にする機会が多い。
ちょっと例を挙げてみよう。

阿辻哲次「なぜ漢字というのか」:「漢王朝は短い中断をはさんで前後四百年にわたってつづいた。中国の古代国家における代表的な王朝が「漢」であった。漢字の「漢」は王朝名ではなく、「漢民族」という中国でもっとも多く暮らしている民族の名前から取られた字である。」(阿辻哲次・一海知義・森博達編『何でもわかる漢字の知識百科』三省堂、2002年。p.22。)

渡邉義浩「「漢」民族・「漢」字という呼称は、中国が自らの古典として漢帝国を尊重し続けてきたことの象徴的表現であろう。」(渡邉義浩『漢帝国』(中央公論新社(中公新書2542)、2019年。p.ii)

ここでは、漢字と漢文化に関する著名な研究者二人の著作から引用したが、前者は題名通り、漢字に関するあれこれを幅広くかつ簡潔丁寧に説明している良書なので、また後者は前漢後漢の概要を描いた最近の著作という理由で引用した次第である。

しかし「漢」が冠される理由についての両者の説明は、答えになっているようでなっていない。……


広中一成「満洲人物伝 第3回 満洲を空から守る――河井田義匡」

満洲航空株式会社の創設
河井田義匡は、満洲国奉天にあった満洲航空株式会社(以下、満航)の中心人物のひとりで、のちに同社理事を務めました。

1928年10月、関東軍参謀に着任した石原莞爾中佐は、『戦争史大観』のなかで、日米による世界最終戦争の発生理由のひとつに、飛行機の無着陸世界一周の実現を挙げ、戦争における飛行機の重要性を説きました。

まもなくして、関東軍司令部では、日本航空輸送株式会社(以下、日航)大連支所長の麦田平雄らの協力を得て、満洲の航空問題についての研究が進められます。満鉄の独立守備隊から始まった関東軍には、このとき一機も飛行機が配備されていませんでした。
1931年9月18日、満洲事変が勃発すると、関東軍司令部は、日航に旅客機を奉天に出動させるよう命じます。以後、それら旅客機は軍徴用機として、戦傷者および弾薬糧秣の輸送など、関東軍の作戦を後方で支えました。……


平林緑萌「前漢功臣伝抄 第四回 秦同・空中──楚漢戦争期の「弩」をめぐって」

■兵馬俑に見る「弩」
文化大革命中の1974年3月29日、陝西省臨潼県(現在の西安市臨潼区)西楊村の農民たちは、春の耕作の季節だというのに水不足に悩まされていた。

そこで、数人(人数及び人名についても諸説ある)の男たちが村の南で井戸を掘ったところ、地下2.3メートル(4~5メートルとも)の地点で変わった陶片と青銅器を発見した。
──始皇帝陵の陪葬坑であり、世界遺産として知られる兵馬俑坑の発見である。

この考古学上の大発見は、翌1975年に世界的に報じられ、いまなおその発掘と修復・保存は続いている。

さて、兵馬俑坑の発見によりもたらされた知見は数多いが、本連載の興味から特に重要なのは、兵馬俑によって統一秦における軍の部隊編成を窺い知ることができた点である。

たとえば、もっとも大規模な1号坑は、おもに歩兵と戦車の混成部隊から成る。これが本隊と目されているが、最前面に当たる東の端は、鎧を着けない歩兵が配置されている。

3号坑は一番小さく、いわゆる指揮所的な機能を持つものであったと考えられている。「将軍俑」と呼ばれてきた軍吏俑もここから多く出土している。……


佐藤信弥「中国時代劇の世界 第5回 『大江大河』」

2018年12月から翌2019年1月にかけて放映・配信された作品で、全47話構成である。女性作家阿耐の現代史・ビジネス小説『大江東去』を原作としている。制作の東陽正午陽光影視は、架空歴史物の『琅琊榜』シリーズ、現代物の『歓楽頌』シリーズといったヒット作を連発しており、丁寧な作品作りに定評がある。本作の主役をつとめる王凱や楊爍も、これらの作品に出演して好評を博している。2019年12月現在、日本語版はリリースされていない。

舞台となるのは、文革の記憶が覚めやらぬ1978年から1992年ごろまでの改革開放の時期の南方地域である。今回は時代劇ではなく現代史物ということになる。

王凱演じる第一の主人公宋運輝は、金州(南京をモデルとした架空の都市)近郊の農村で生まれ育った「反革命家庭」出身の青年で、文革時には高中(高校)に行けず、独学で高考(大学入試の統一試験)を受験して県でトップの成績を収め、地域の名門安運大学の化学系(やはり架空の大学。××系とは××学科の意)に進学する。卒業後は化学工業の分野で中国有数の金州化工に就職し、技師としての才能とまじめな性格を見込まれて出世していく。

楊爍演じる第二の主人公雷東宝は、人民解放軍あがりの青年で、豪放磊落な性格。宋運輝一家が暮らす村の近隣の貧村小雷家大隊の副書記(後に書記)となり、改革開放の波に乗っていわゆる郷鎮企業を立ち上げ、その経営の才覚が地域の党幹部に注目されるようになる。彼は宋運輝の姉の運蔽と結婚し、宋運輝とは義理の兄弟として助け合っていくことになる。また解放軍出身という経歴を生かして同じく解放軍出身の工場経営者などから便宜を得ようとするが、彼らとは面識があるわけでもなく、解放軍出身という点でしか共通点がない。彼に対して解放軍からの金銭的な支援などもない。……


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