学会情報

中国史史料研究会 会報第8号:試し読み

表紙は台湾 亀山島。


亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第9回」

今回は、亀山島へ行った話を書いてみたい。

亀山島とは、台湾北東部の本土から10キロほど離れた場所にある島である。亀によく似た形をしているので、こう名づけられたらしい。かつては人が住んでいたが、戦後過疎化が進行し、1977年に軍事演習場に指定されると、残りの島民も強制移住させられて無人島となった。その後は一般人の立ち入り禁止となったが、2000年から観光客の受け入れが開始された。とは言え、島の自然を守るため、1日ごとに人数制限があり、しかも事前に申し込みが必要で有料である。今年は観光地化してちょうど20周年であるため、名前に「亀」がつく人を特別に無料で受け入れるというイベントが企画されたのである。

私はこの企画を、最初ツイッターで知った。私にこの島に行くように勧める方も何人かいらした。しかし、当初は行くつもりはなかった。たった1人で行くのは、まだいろいろと不安である。…………


上田裕之「[書籍紹介]檀上寛『陸海の交錯 明朝の興亡』」

最近、本邦における中国史の概説書の書かれ方に大きな変化が生じている。津田資久・井ノ口哲也編著『教養の中国史』(ミネルヴァ書房、2018)では、遊牧系の諸王朝の推移を正面から論じる「匈奴・五胡・北朝」や「契丹(遼)・金・元」の章を設けたり、唐の後半から南宋までを「財政国家」の切り口で一章にまとめたりしている。また、佐川英治・杉山清彦編著『中国と東部ユーラシアの歴史』(放送大学、2020)は、書名に「東部ユーラシア」の語を掲げていることがまずもって目を引く。「東部ユーラシア」は、中国(漢地の漢人世界)の中心性に対する自明視を排して中国と近隣世界との相互作用を重視する概念である。断代史の時間軸・空間軸を基礎とする旧来の中国史の形式が、本格的に乗り越えられようとしているのである。もちろん、断代史の相対化それ自体は今に始まったことではなく、本邦で初めて中国史を近代歴史学の俎上に載せた那珂通世の段階において既に意識されていたことではある。しかし、上述した最近の傾向は、断代史を温存したまま長期的な見取り図を上からかぶせるのではなく、時間的にも空間的にも別の基準を積極的に打ち立てることで断代史をなかば解体しようとするものであり、完全に新たなステージに入ったとみなすべきであろう。

そのような昨今の潮流を顕著に体現しているのが、岩波新書「中国の歴史」シリーズ全5巻(岩波書店、2019-2020)である。全巻の冒頭に掲載された執筆者一同によるはしがきによれば、従来の中国史が中国の「多元多様」なありようを捉えきれず、「「中国」という自明の枠組みを時代ごとにみるだけだった」ことを踏まえて、本シリーズでは「多元性」をモチーフとして全5巻を構成したという。……


佐藤信弥「中国時代劇の世界 第9回 素顔の宦官たち

中国史上の宦官と言えば、一般的なイメージとしては、暗君・暴君の側近として権勢を振るい、性欲が満たされない分、権力欲や金銭欲を満たそうとし、心ある士人を虐待して王朝を滅亡へと導くといったものであろう。秦の趙高、後漢末の十常侍、明の魏忠賢などが宦官の害悪を示す典型としてしばしば取り上げられる(趙高に関しては実は宦官ではなかったという説もあるが、それはひとまず置いておく)。

もちろん実際の所は宦官という存在をそこまで単純化できるものではない。『史記』を著述した司馬遷や南洋航海で知られる鄭和も宦官なのである。単純化できないというのは、中国エンタメでの描写でもそうである。時代劇に登場する宦官は、趙高タイプの悪人以外に、これといって悪事を為すわけではない君主の忠実な世話係としての宦官や、劇中でのお笑いを担当する三枚目タイプの宦官も多い。

日本では清末の西太后の宦官となる李春雲(春児)を主人公とする浅田次郎の小説『蒼穹の昴』が、宦官のイメージを刷新する画期的な作品となった。2010年にはこれを原作として日中合作のドラマ版も放映された。ただ、全25話(日本版の話数。中国版の話数は全28話)構成と、文庫版にして全4巻の長編のドラマ化としては尺が短かったこともあり、原作小説の魅力を十分に反映した作品とは言い難いものであった。……


平林緑萌「前漢功臣伝抄 第8回 周昌・郭蒙―「敖倉」を守った男たち

■功第一位、蕭何の功とはなにか

本連載ではこれまで、弩や騎兵といった具体的な兵種の運用にかかわった人々についてとりあげてきた。

一番数の多かったであろう歩兵(卒)や、兵種が入り乱れての大規模な戦闘については未だ語り残しているが、今回は攻撃ではなく防御、「守り」が軍功とされた例について見ていきたい。

いったい、功第一位の蕭何の侯功にも、以下のようにある。

以客初起従入漢、為丞相。備守蜀及関中、給軍食、佐上定諸侯。為法令、立宗廟。侯、八千戸。

(功臣表)

これまでは「給軍食」、つまり「兵站」にかかわる功績が評価されたことが強調されてきたきらいがあるが、「備守蜀及関中」の部分、要するに「守り」についても言及されていることは見逃せない。

もとより、兵站と守りは切り離せるものではないが、そのことも今回の検討でより具体的に見えてくるだろう。……


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