学会情報

中国史史料研究会 会報第17号:試し読み

表紙は万里の長城。


赤坂恒明「苟且図存(かりそめに存を図らんとせば)―内モンゴル大学における一日本人モンゴル史研究者の教育活動―(四)」

このたびの内モンゴル大学モンゴル歴史学系からの招聘では、大学側が住居(宿舎)と単独の研究室とを「提供」し、研究室内には必要な機器も備え付ける、ということです。さすがにこれは、招聘に際しては必要最低条件であると言えるでしょう。
しかし、この招聘につきまして、私には大きな懸念がありました。
その第一は、書籍の問題です。内モンゴル大学には、私が頻用する工具書・史料・研究書が完備されておりません。それらを手元に揃えない限り、研究活動も教育活動も進めることは困難です。それらの書籍の分量は半端ではありませんが、当然、日本からフフホトにまで送付する必要があります。そのために所要の郵送費用は、相当の金額となります。
そこで、もし五年の任期が、さらに十年、延長されることが保証されれば、私の所藏している書籍(洋書や、トルコ、イラン、旧ソ連邦諸国の刊行物を含む)の大半を内モンゴルに送付し、郵送費を内モンゴル大学側が全額負担するのであれば、それらの書籍の一部分は直ちに内モンゴル大学図書館に寄贈し、残りも原則として将来的に内モンゴル大学図書館にすべて寄贈するつもりである、との旨を伝えました。……


亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第18回」

台湾に住んでなかなか慣れないことの1つに、お正月がある。こればかりは、いつも違和感がある。
ご存じの方も多いと思うが、こちらでは正月は旧暦でお祝いする(春節)。なので、12月の最後の週も1月の最初の週も通常どおりに授業がある。大晦日の夜は、本当ならば実家でふぐ鍋を食べてからこたつに入って紅白歌合戦を見てるのにとか、1月2日もこたつの中でお雑煮やみかんを食べながら箱根駅伝見てるのにとか、ときどき学生たちにぼやいている。
一応、1月1日は祝日でお休みである。しかし、これも元旦ではなく、開国記念日という名目らしい。10月10日も中華民国の誕生日らしいのだが、1月1日とどう異なるのか、その違いがいまだにわからない。
ただし、新暦の正月が完全に無視されているわけではない。新暦の大晦日には、台北101から盛大に花火が打ち上げられ、たくさんの人がこれを見に集まる。以前住んでいた宿舎の窓からこれを見ることができた。今年、初めて近くまで行って見たが、想像以上に大規模で驚いた。おそらく日本だと、法律的な問題でこういうイベントは不可能だろう。……


山田 崇仁「中国古代史研究入門(その1)」

■はじめに

今号からしばらく(今のところいつまで連載するかは未定)、このような題名でつらつらと小文を書くことにした。
理由はいくつかあるのだが、授業で類似したテーマを取り扱うこともあって、これを少し授業とは違うスタイルで何か書けないかと考えたこともその一つである。
今回は「中国古代史」という言葉そのものについてとりあげてみたい。

■中国古代史って何時までなの?

さて、筆者は一応「中国古代史」の専門家を自任している。
ところが、この「古代史」というキーワードが中々にややこしい。
具体的に言うと、どの学説を支持するか・どの地域で中国史の基礎教育を受けてきたかによって、「中国古代史」の範囲が著しく異なるからである。
例えば、中華人民共和国で発行された『高等院校文科教材:中国古代史』(福建人民出版社、2010年/高等院校とは、大学・専門学校・専門大学などを指す)や『中国古代史』(北京師範大学出版社、2016年)では、猿人(アウストラロピテクス)から説き起こし、清朝(アヘン戦争より前まで)で筆を終える。また、少々古いが中華民国早期に刊行された夏曾佑『中国古代史』(1933年)では、上古を世界の始まり~戦国末・中古を秦~隋とそれぞれ分ける。とりあえず中華人民共和国では、始皇帝~アヘン戦争より前が古代としていると覚えておけばよいだろう。
問題は日本である。筆者が大学の門を叩いたのは平成初頭だが、その頃は大分おとなしくなってはいたものの、それ以前の数十年「時代区分論争」というのが学界の主要な論点の一つとなってきた。……


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