学会情報

中国史史料研究会 会報第19号:試し読み

表紙は平遥古城(山西省晋中市平遥県)。


赤坂恒明「苟且図存(かりそめに存を図らんとせば)―内モンゴル大学における一日本人モンゴル史研究者の教育活動―(六)」

さて、待遇の条件に関する相談の次は、内モンゴル大学への就職に向けた具体的な手続きに関する説明となりました。
すなわち、履歴書と研究業績書の提出、および、就職前の面談等のための渡航についてです。
履歴書と研究業績書は、いずれも日本で通用しているものとは若干、趣が異なっておりますが、取りあえず手元にあるデータ(日本語による)を送るようにとの指示です。
研究業績につきましては、私の「主要研究分野」として、
(1)「ペルシア文史料を主体に、アラビア文、テュルク文、漢文、ロシア文の史料を使用した、モンゴル帝国およびモンゴル帝国の継承諸政権に関する歴史研究」
(2)「ペルシア文モンゴル帝国に関するペルシア文史料の文献学研究」
の二つを挙げておきました。なお、私には、日本史に関する学術論文もありますが、それらは内モンゴル大学が私に求めることとは無関係ですので外しました。
「世界的にも評価される研究内容」という項目には、

1. モンゴル帝国の西北部を構成した金帳汗国に関する、東アジアにおける唯一の学術専門書を出した。特に、「ジュチ後裔諸政権に対する「金帳汗国」という研究上の概念が、ヨーロッパ中心史観のもとで形成されたものであり、中央アジア、西アジアのペルシア文史料の記載に基づき、これを相対化することが可能である」、と指摘したのは、世界で最初である。
2. ペルシア文史料以外に、世界で初めて中央アジアのチャガタイ=テュルク文史料の記載に基づき、元朝史研究をおこなった。
3. モンゴル帝国に関するペルシア文史料の文献学研究で、重要史料『五族譜』に関する、世界で最初の本格的な研究をおこなった。

の三つを挙げました。ただし、これらの研究業績はすべて日本語で発表されたものですので、甚だ遺憾ながら、国際的には、日本語が読める研究者以外には(一部の例外を除き)ほとんど存在すら認知されていないというのが実情です。……


亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第20回」

今回は、台湾の日常生活についてつらつら書いてみたい。
台湾のスーパーマーケットは、日本に比べて小さくて品揃えが悪い印象がある。特に食料品が貧弱である。これは、台湾の人があまり自炊をしないことと関係していると考えている。値段は概して日本よりも安いが、乳製品はかなり高めだとYouTubeの動画で紹介されていた。
自炊する人が少なく、外食産業が発達している。サンドイッチやおにぎりなどの朝食を売る店があちこちにある。弁当が冷たくなく、あたたかいのに驚いた。
住宅も調理設備があまり充実していない。現在住んでいる宿舎も部屋の中に調理設備はなく、3階にインスタントラーメンやパンを焼く程度の簡単な器具が設置されているだけである。下手に自炊されて部屋が汚されることを嫌う大家も多いそうである。私も自炊は好きでないので、こういうところは気が合うと思っている。そう言えば、父親に自炊を禁止されているという女子学生がいた。理由は危険だからだそうである。これにも驚いた。……


山田 崇仁「中国古代史研究入門(その3)」

■はじめに

歴史学には、「何かしらに書かれた文字」を研究材料とする分野「文献史学」がある。中国史の場合、他の前近代の文化圏に比して文字で書かれた資料が質量共に圧倒的に多いという特徴がある。それは、本連載でとりあげている先秦史も同じであり、例えば前漢:司馬遷『史記』が持つ君主の名前や在位年情報や、前8世紀以降の約700年にわたる年代記が曲がりなりにも存在していることにも明らかだろう。そのような資料状況の下、前近代より現在に至るまで文字資料を用いた歴史研究が連綿と続けられてきた。
21世紀の今日、文字資料を用いた先秦史研究は「伝世文献」と「出土文字資料」との二つの大きなジャンルが存在する。前者は、それが初めて世に生まれて以来多数の人によって書き継がれ、後には印刷や電子複写によって現代の我々の目に届いた文字資料である。後者は、前者の伝承がどこかで途切れ、その後に地下にたまたま貯蔵・埋葬・廃棄されていたものが発掘・盗掘された結果、現在の我々が目睹し得た文字資料である。今回は、伝世文献についてとりあげたい。

■「伝世文献」と「目録学」

そもそも「文献」という語は、『論語』八佾篇「子曰く、夏の禮、吾れ能く之を言うも、杞徵すに足らざる也。殷の禮、吾れ能く之を言うも、宋徵すに足らざる也。文献足らざるの故也」が古い用例である。ただここの「文献」は、後漢:鄭玄の注「献は猶お賢のごとき也」に従って「文章・典籍と賢者」の意味と解される場合が多い(梁:皇侃義疏「文は、文章也。献は、賢也」/南宋:朱熹『論語集注』「文は、典籍也。献は、賢也」)。漢字は元々「一字=一語」の関係で表現される「表語文字」に属する書き言葉であったことからすれば、「文献」を「二字=一語」の関係とするよりも妥当な解釈だろう。そして、後に転じて文書・制度を指すようになった(例:元:馬端臨『文献通考』→上古~南宋の制度史を整理した書籍)。現代的な学術用語としての「文献」の説明は、『図書館情報学用語辞典』(第5版:オンライン版)の「特定のテーマをよく知るための拠り所、典拠となるものの総称」が分かりやすい説明である。
先秦史における研究資料としての「伝世文献」は、「現代まで書物の形で書き継がれてきた書物・典籍」を指す。書物以外の文字資料の中で重要な文書や手紙類などは、(日本の中世古文書のように)現物や書き写したものを現代まで伝承したものが存在しない(その一部が伝世文献に含まれている可能性はある/出土文字資料には存在)ため、伝世された文字資料はほぼ「書籍」のみであると言い切ってしまってよいだろう。……


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