学会情報

中国史史料研究会 会報第23号:試し読み

表紙は黄龍・争艶池(四川省アバ・チベット族チャン族自治州)。


赤坂恒明「苟且図存(かりそめに存を図らんとせば)―内モンゴル大学における一日本人モンゴル史研究者の教育活動―(一〇)」

内モンゴル大学への就職話があるまで、私には携帯電話の類は特に必要性がなく、所持する予定もありませんでした。
また、PCにつきましても、ほとんどインターネットを使っておりませんでしたので、アナログ電話回線の「ダイヤルアップ接続」という当時すでに過去の遺物化したネット接続環境でメール送受信を行うだけの、最低限の利用をするにとどまっておりました。
それでも長らく、左程には不便を感じることもありませんでしたが、PCにつきましては2014年にYahooメールが「ベータ版」仕様に変更されてから、細いアナログ電話回線ではメールの添付文書を開くことがほぼ不可能となり、非常に不便を感じるようになりました。そのため、添付文書をダウンロードするには、やむなく出講先の端末を使わせてもらう、という寄生的なネット利用をせざるを得なくなってしまっておりました。
このような前時代的な通信環境のもとで日々を過ごしておりましたところに、ブレンサイン師兄を通じて内モンゴル大学への就職が持ちかけられました次第です。携帯電話がなければラチが明かないとて、師兄からの勧告により、2017年11月29日を以て、ついに私も「ガラケー」を購入するに到りました。いきなり「スマホ」では適応し難いであろう、と判断して、「ガラケー」にしておきました。そして、ブレンサイン師兄とは、この「ガラケー」を使って、互いに連絡を取り合うこととなりました。……


亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第24回」

昨年の年末、学生から取材の依頼を受けた。ゲーム会社でインターンシップとして働いており、その会社が第二次世界大戦末期に台北が米軍に受けた空襲をテーマにしたゲームを作ったので、それについていろいろ聞きたいということであった。

私が日本の歴史を研究していることから白羽の矢が立ったのであろう。しかし、歴史と言っても専門は中世で、近現代史ははなはだ疎い。そもそも台北が空襲を受けていたことすら、このとき初めて知った体たらくである。質問されてもまともに答えられる自信はまったくなかったが、ともかく引き受けた。

私の故郷の秋田県は、県都秋田市の外港である土崎が終戦直前に空襲を受けている。秋田県は日本では貴重な石油を産出する県であり、それで狙われたらしい。また秋田県は鉱山がたくさんある県でもある。私の地元にも小坂鉱山という大きな鉱山がかつてあり(現在採掘はしていないが、世界一の金属製錬技術を生かし、廃棄された電子製品からレアメタルを抽出する仕事をしているそうだ。ちなみに私の名字の由来である亀田山にも昭和30年代に小さな鉱山があり、字名から「大地鉱山」(別名「亀田鉱山」)といった。子どもの頃、この山でよく鉱石のかけらを拾って遊んだ)、隣の大館市にあった花岡鉱山では朝鮮人労働者が暴動を起こしたという。……


山田 崇仁「中国古代史研究入門(その6)」

■はじめに

COVID‑19の影響により、海外渡航が難しくなったことも記憶に新しい。筆者が専門とする中華圏についても、日本から中華人民共和国への渡航がノービザで行けるようになるのは、まだしばらく時間がかかりそうだが、台湾への渡航は2022年末に解禁された。この小文をご覧の諸賢には、既に台湾に行かれた方もおられるだろう。

筆者が数度訪れた台湾で印象的だった景観は、あちこちに存在する道教の神々を祀る宗教施設である。

この道教の最高神格の一柱が「太上老君」である。道教は戦国時代の道家思想から発展して形成された宗教だが、道家思想の開祖に位置づけられるのが老子であり、彼が神格化した存在こそが「太上老君」なのだ。

では、老子という人物は、どのような時代に生まれ育ったのだろうか?

今回はここから出発し、どのような景色が見えるかアプローチしてみたい。

■老子の伝記資料

老子の伝記資料は、『史記』老子韓非列伝第三に記される情報が最も古い。過去の研究でも、この記述をどのように分析するかが、基本的アプローチとなっている(武内義雄・小川環樹・楠山春樹など)。

老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人なり。姓は李氏、名は耳、字は耼(タン)。

これが、老子の出身地並びに名前に関する基本情報である。この記述を記号化すると、以下の形になる。

A(個人名)、B(出身国・地域)の人なり。姓C、名D、字E。……


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