学会情報

中国史史料研究会 会報第30号:試し読み

表紙は林百貨店(台湾・台南市)。


赤坂 恒明「苟且図存(かりそめに存を図らんとせば)―内モンゴル大学における一日本人モンゴル史研究者の教育活動―(七)」

2018年4月3日(火曜日)午後、フフホト市内を少々散策しました。左手中指の治療のために二度通院した「呼和浩特市賽罕区医院」から、春爛漫の内モンゴル農業大学の構内を通過し、「制片廠西巷」(呼和浩特市 賽罕区 大学東路 電影制片廠西巷)を南から北に歩きました。

「制片廠西巷」(制片廠巷)は「映画スタジオ西通り」という意味です。自動車では南から北への一方通行道路です。ちなみに、「制片廠西巷」は「大学東街」との交差点以北は「金宇巷」となりますが、この「金宇巷」は「黄街」の名で有名な飲食店街です。

「制片廠西巷」の東側は塀と柵で仕切られた「内蒙古電影制片廠」(内モンゴル映画スタジオ)の敷地とその北側の隣接地ですが、その隣接地と思われるあたりでは、高いクレーンで建造物が建築中であり、再開発が行われている模様です。通りの西側にはモンゴル民族服飾店がズラリと軒を連ねていて、実に壮観です。そこは、フフホト市内で最も多くのモンゴル民族服飾制作店が集中していることで有名です。私が訪れた2009年4月3日の時点では、62軒の民族服飾(ündüsüten-ü qubčasu jasal)店がありました(しもた屋もあるかも知れませんが)。

歴史的な記録にもなるであろうと考えまして、この「制片廠西巷」のモンゴル服飾店を片端から写真撮影いたしました。六年を経過した現時点では、いくつかの服飾店はなくなってしまったかも知れません(その場合、代わりに新しい服飾店が入っているとは思われますが)。……


亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第30回」

今年の冬休みは、3泊4日で台南を旅行した。そこで今回は、それについて書いてみたい。とは言え、かなり前のことであるので、正直記憶がかなり薄れている。あいまいな部分や事実誤認もあるかもしれないので、その点はあらかじめご容赦いただきたいと思う。

今回は在来線の特急(普悠瑪号)に乗った。新幹線でも行けるのだが、駅が市街地の中心からかなり離れているのでかえって不便らしい。今までの人生最南端は、昨年正月に行った嘉義と阿里山である。台南はさらに南にあるので、今回で最南端を少し更新できてうれしかった。

台南駅に到着。人口185万人の大都市の駅としては古くて小さくて驚いた。トイレも古くて、昭和のにおいが漂っていた。ただし現在改装中なので、数年後には新しくて大きな駅になっていると思う。

天気がよくて暖かく、春の陽気であった。夜はさすがにまだ肌寒かったが、日中はTシャツだけでもよいくらいであった。空気も台北よりもきれいで澄んでいる。リスも台北のリスよりもかなり大きいように感じた。

南部出身の学生が台北は寒くて冷えるとよくこぼしており、何をぜいたくな悩みをとずっと思っていたが、その気持ちも確かに理解できる。台湾はこの台南から開発が始まった。まずオランダが台湾支配の拠点とし、鄭成功がオランダを追い出して清朝に対抗し、その後清朝が支配した。清朝時代は台湾の首都的な存在だったそうである。日本はなぜわざわざ気候の厳しい台北に中心を移したのであろうか?昔は船しか移動手段がなかったから日本に近い台北にしたのかもしれないが、今改めて元に戻してもいい気もする。……


秋山陽一郎「伝世文献と出土文献」

中国古代の文献は、作者による自筆の原本がはるか昔に失われている。今日の我々が二千年以上前の古典を読むことができるのは、たび重なる転写を経た写本や印刷物によってである。このように転写を重ねて現代にまで伝えられた文献のことを「伝世文献」という。だが、転写を重ねるごとに古典の本文は、改変や誤写・誤植といった、故意または無意識の要因による損傷をうける。そうした損傷をまだそれほど受けていない古写本が、二十世紀に入って相次いで地中より発見された。いわゆる「出土文献」である。出土文献は、あるものは現存しない失われた古佚書であったり、あるものは従来の学界の理解を覆すものであったりと、大小さまざまなインパクトをもたらした。だがこうしたインパクトは、同時にいくつかの波紋をも招いている。

一、中国古代文献簡史

■文献・文書・書籍

中国でいう「文献」は、日本でいう「文字資料」に相当し、「文献」はその内容や用途によって「文書」と「書籍」とにしばしば大別される(駢宇騫『簡帛文献綱要』、陳偉『竹簡学入門』など)。端的にいえば、「文書」とは公的な記録、「書籍」とは私的な著作を意味する。具体的に例示すれば、甲骨文・金文・簡牘による法令文書などが「文書」に、『老子』や『孫子』といった諸子百家の著作などが「書籍」にあたる。

「文献」の中でも個人による私的な著作、すなわち「書籍」の出現は比較的遅い。現時点で確認されている書籍は、ほぼ戦国時代以降のものに限られる。中国史学史上に名高い章学誠(清:1738〜1801)によれば、易・書・詩・礼・楽・春秋の「六経」はいずれも公人による「史」(記録、すなわち文書)であり、個人の私的な著作(すなわち書籍)は諸子百家が活動する戦国時代になって初めて現れたとしている。いわゆる「六経皆史」説である。六経を文書として括るか、書籍として括るかは意見の分かれるところだが、書籍の書写媒体として用いられる簡帛(竹・木・絹)の最古の出土例は、戦国時代早期のものであり、それ以前の書籍の存在を確認するには、今後の出土例を待たねばならない。……


新城理恵「伴瀬明美・稲田奈津子『東アジアの後宮』(勉誠出版 2023年6月 337頁)」

中華圏においては、以前から、後宮ものは時代劇ドラマの定番のジャンルであるが、近年日本においても、ライトノベルやコミックで「後宮」を舞台とするものが多くみられるようになった。

一方、従来の研究動向においては、後宮は、史料的な限界もあり、后妃や宦官が国政に容喙しない限り、政治史の本筋とは関わらない、エンタメ的に興味本位に取り上げられるか、些末な主題であるとして隅に追いやられがちなきらいがある。

本書は、そうした後宮の在り方について、対象を東アジア全域に広げ、模範とされる中国の制度の変遷と、東アジア各地域の共通性と多様性とを、それぞれの論考によって明らかにしようするものである。

本書の目次は、以下の通りである。……


 

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