学会情報

中国史史料研究会 会報第29号:試し読み

表紙は龍門石窟(中国・河南省洛陽市)。


赤坂 恒明「苟且図存(かりそめに存を図らんとせば)―内モンゴル大学における一日本人モンゴル史研究者の教育活動―(一六)」

北魏(鮮卑)関係両遺跡の巡検に同行した翌日の2018年4月2日(月曜日)に至り、ようやく就職関係の手続きに動きがありました。今回のフフホト滞在期間も既に半ばを過ぎておりますが、その日の17時に、雇用契約書類の最終確認を行うため、内モンゴル大学モンゴル学学院内のボヤンデルゲル教授の研究室にて、ボヤンデルゲル教授と会合することとなりました。

フフホトは例年になく気温が高く、前日までフフホト市内は暑く感じられるほどでした。学生の中には、早くも半袖になった人もいました。まだこの季節は零下になることが少なくないはずですので、大いに面食らっておりましたが、その日は冷え込んで急に涼しくなりました。

ところが、寒気の到来と共に、フフホト市内は深い煙霧(土埃+大気汚染)に閉ざされました。太陽も甚だ霞んで見えます。当然、日中は外出を差し控え、ホテル内に引き籠っておりました。それでも目がチクチクと痛みます。

そして夕刻、17時までに大学へ出頭すべきところ、何を勘違いしたものか、時間を読み誤っていまい、気付いた時には既に10分前。あわててホテルを飛び出し、幸いタクシーがすぐに来ましたので、つかまえて乗り込み、

「内大(ネイダー)!」

と行き先を告げました。運転手が、

「東門(ドンメン)、南門(ナンメン)、どちらだ」

と聞くので、モンゴル歴史学系の入居するモンゴル学学院の建物により近い「東門」と答えました。ところが、東門方面への道は工事中のため、あいにくの大渋滞です。そこで、

「東門でなく南門!」

と行き先を変更しました。少し遠回りになりますが、南門へ到るには抜け道があります。そして、ちょうど17時に南門に到着しました。
モンゴル民族は概して時間厳守には緩いとの定評がありますが、さすがに就職関係の説明を受けるための出頭ですから、あまり遅れるわけにはいきません。煙霧でかすむ中、南門から構内を走ってモンゴル学学院の建物へ急ぎました。この時に、汚染された空気を、気管支から肺の奥深くまで吸い込んでしまいました。……


山田 崇仁「春秋戦国時代をどのように捉えるか?」

■はじめに

筆者の専門は、東部ユーラシア世界の黄河と長江とに挟まれた地域、後に「中華」・「中国」などと呼ばれるようになった地域を対象とする。時代的には、前8世紀に西周が崩壊した後、「中華」の呼称が包含する地域が両大河の東西南北へと広がる紀元前3世紀辺りまでが対象である。専門用語で言うならば「先秦史の一部」ということになる。もう少し俯瞰した見方をすれば、「中国が形成されるまで」の地域・時代が対象となるだろうか。

一般的に、西周崩壊後、平王が内乱を克服して都を東の洛陽に遷した後の時代を、「東周時代」や「春秋戦国時代」と呼ぶ。そのため、筆者も外向けには「春秋戦国時代を専門としています」と称することが多い。

ところがよく考えてみると、このどちらの呼び方も、他の中国の時代区分とはちょっと毛色が違う。

中国史の時代区分は、伝統的に王朝の名称(あるいは隣接する複数王朝の特徴)に由来してその名称が付けられる。このような歴史区分認識は「断代史」と呼ばれる。これに対し、日本では戦前からヨーロッパ的な古代・中世・近世・近代・現代などの名称を適用しようとする過程で、どこでそれらを区切すればよいのかについて論争となった。特に古代と中世との区分はどこか、またどのような指標が適用されるからこそ区分されるのだ、という議論が、ヘーゲルやマルクス主義的な歴史段階発展論との関係で論争が交わされてきた。その成果により、土地所有や身分制などを初め、多くの研究成果が提示されてきたが、時代区分論争自体は、20世紀末には(当事者達が一線から退くことにより)次第に下火になった。そのため色々問題はあるが、現在でも断代史的な歴史区分を使用し続けているのが実情である。……


山田 崇仁「弊社出版の電子書籍作成事情―人文学関連ならではの問題―」

■はじめに

筆者は、中国上古史研究者としての顔とは別に、本会の運営を行っている志学社(以下、幣社)の役員という顔を持っている。弊社で筆者が担当する業務は複数あるが、その中の一つに電子書籍作成がある。

経営的に見れば、商品のロングテール化・販路の多様化と国際化等の側面がある。一方利用者の観点からすると、電子書籍には功罪それぞれの面がある。また別に、筆者のように志学どころか知命の年齢すらとうに超えた人間にとっての電子書籍がもたらしたメリットは、保管スペースの節約・外出時の荷物の軽量化はもとより、加齢による老眼によって文庫や新書の文字が小さくて読みづらくなってしまった問題(+個人的に明朝体が目に負担を覚えるようになった)を文字の拡大とフォントデザインの変更によって大幅に改善したことであった。

電子書籍の功罪や可否については、本会会員諸賢の中にもご意見があるだろうが、こと筆者個人にとっては、読書の喜びを多少なりとも取り戻せた、非常にありがたいテクノロジーなのである。

そのため、弊社で選書の電書化を進めること自体には、それほど忌避感がなかった。また、昔とった杵柄ではないが、十数年前に大学でHTMLとCSSの授業を数年間担当した経験も、電子書籍作成の技術的・心理的ハードルを下げるのに役立った。……


 

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