学会情報

中国史史料研究会 会報第31号:試し読み

表紙は外灘(バンド)(中国・上海市)。


赤坂 恒明「苟且図存(かりそめに存を図らんとせば)―内モンゴル大学における一日本人モンゴル史研究者の教育活動―(一八)」

2018年4月4日(水曜日)は、晩刻の内モンゴル大学での講義がありませんでした。そこで、その日の午後、フフホト滞在中に一度は訪問したいと願っておりました内モンゴル文化音像出版社を訪れました。民俗音楽音源資料の収集が目的です。

話は九年前にさかのぼります。私が初めてフフホトを訪問した2009年3月、モンゴル関係書籍を販売するさまざまな書店で書籍をいろいろと買い込みましたが、書店の中には、書籍以外に音楽カセットテープや音楽CD、VCD(ビデオCD)を扱っている所もありました。当時、音源資料の価格は、一部を除き、至って手頃でした。音楽CD1枚は日本円換算で300円未満~800円程度、VCDは安いものは1枚150円で購入することができました。

書籍を中華人民共和国から外国へ郵送するには、ISBN付きのものであり、かつ、「内部刊行物」でないものであれば、特に問題はありませんが、CD類は特別の許可がない限り、ISBN付であっても一切、郵送が認められず、帰国時に、重量制限のある手荷物の一部として持ち帰らなければなりません。……


亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第31回」

人はなぜ、湖・池・沼・海など、水がたくさんたまっているところに惹かれるのであろうか。

私は、湖には昔からなぜか思い入れがある。きっと、十和田湖の秋田県側の出身だからだろう。子どもの頃は、父の仕事の関係で頻繁に十和田湖に遊びに行っていた。緑豊かな山々、引き込まれそうな青く深く澄んだ水。山奥にひっそりとたたずむ火山の湖が大好きで、平安時代の十和田湖の噴火にちなんだ八郎太郎の雄大な伝説(三湖伝説)も美しい物語だと思う。中学三年生のときは、中学校のイベントで十和田湖の周囲を3泊4日くらいでキャンプさせられた。険しい山道を延々と歩かせられ、県境(当時は未確定だったが)を越えて青森県まで行った。正直言って、最悪の思い出のひとつである。

それはともかく、先日2泊3日で「日月潭」という湖を旅したので、それについて書いてみよう。日月潭は台湾中西部ある台湾最大の湖である。調べてみたら、秋田県の田沢湖より大きいらしい。ただし水深は日本最深の田沢湖にははるかに及ばず、30メートル程度らしい。

この湖に行ったのは端午節の連休だったのであるが、この休日自体が日本の端午の節句とはかなり異なる。「男の子の日」という感じはまったくなく、もちろん五月人形もない。そもそも日本の子どもの日は新暦5月5日であるが、こちらは例によって旧暦でカウントされる。こちらの端午節は、中国の戦国時代の詩人屈原と非常に関係が深い。……


秋山陽一郎「秦火と項火」

焚書と挟書律

秦の始皇三十四年(前213)、始皇帝は咸陽宮で酒宴を催した。七十人いる博士たちが一斉に前に進み出て始皇帝を寿ぎ、代表して博士のトップである博士僕射の周青臣が祝辞を述べた。

始皇、咸陽宮に置酒し、博士七十人前みて寿ぎを為せり。僕射周青臣進み頌えて曰く、「他時、秦の地は千里に過ぎず、陛下の神霊明聖を頼みて、海内を平定し、蛮夷を放逐し、日月の照らす所、賓服せざるもの莫し。諸侯を以て郡県と為し、人人自ら安楽して、戦争の患い無く、之れを万世に伝うれば、上古自り陛下の威徳に及ばざるなり」と。始皇悦ぶ。

始皇帝はこの周青臣の祝辞を喜んだが、これに斉出身の博士淳于越が噛みついた。戦国時代の斉にはかつて首都に稷下学宮、外に戦国四君の一人孟嘗君のサロンもあって各地から游士が集った。わざわざ淳于越のみ「斉人」と出身を明記しているあたり、相当にプライド剥き出しだったのだろう。始皇帝の前で公然と上官である周青臣を佞臣だと痛罵した。さぞ、酒宴の場は凍りついたに違いない。

博士斉人淳于越進みて曰く、「臣聞く、殷周の王は千余歳、子弟功臣を封じて、自らの枝輔と為せり。今陛下海内を有ちて、子弟は匹夫為り。卒かに田常・六卿の臣有れども、輔払無く、何を以て相救わんや。事に古えを師とせずして能く長久なる者は、聞く所に非ざるなり。今、青臣又た面諛して以て陛下の過ちを重ぬるは、忠臣に非ざるなり」と。

「田常」は下剋上で斉を奪って諸侯となった人物。「六卿」も晋で実権を握っていた智・范・中行・趙・魏・韓の六氏。当初智氏の智伯が突出していたが、最終的にはこのうち趙・魏・韓の三氏が独立して諸侯となる。どちらも戦国時代幕開けのきっかけとなった下剋上の事例である。淳于越は、いま始皇帝が天下を平定しても、扶蘇や胡亥といった子らは只人同然の地位で、この先、斉の田常や晋の六卿のような脅威が現れたとしても、秦を守る藩屏—すなわち盾となる存在がなければどう秦を救うのでしょうか、と指摘した。これがいわゆる郡県制と封建制をめぐる優劣論争の嚆矢である。前近代中国ではこの後もしばしば議論の俎上にのぼる永遠のテーマだ。……


小檜山青「RED」

「小紅書」(RED)というSNSがある。中国版Instagramといった趣きの、若者向けのプラットフォームだ。日本人向けの紹介をみると、若年女性層向けへの活用事例が多い。最新のコスメやファッション、華流スターの情報発信を追えるという宣伝が多い。

こうした紹介を見ると、「じゃあ自分は関係ないな」と思う方が大半だろう。まず中国語で読み書きする能力が必須であるし、それをクリアするにしても、別にそんな情報はいらないと思ってしまいかねない。

しかし、果たしてそうだろうか?実は中国史好きにこそ、このSNSを活用する意義はある。

SNSはアルゴリズムを用い、投稿者の好みの投稿を流してくる。歴史の投稿に「いいね」をつければ、そればかりになってくる。今、中国ではどんな歴史書が出ているのか。小紅書で追うことができる。SNSの強みを活かして、動画や図表で歴史解説をしてくれる。衣食住について図版付きで解説してくれる。いい時代になったものだとしみじみ思える。自分も若い頃このSNSがあれば、どれほど楽だったか。そう妬ましい気持ちになるほどだ。

SNSは趣味が同じ人を集めてくる。歴史が好きな者同士の交流は楽しい。私は中国語を話すことはほとんどできないし、投稿にせよ翻訳アプリ頼りだ。しかし、そんなたどたどしい書き文字だから味わえることもある。……


 

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