学会情報

中国史史料研究会 会報第15号:試し読み

表紙は台湾 台北市の市街風景。


赤坂恒明「苟且図存(かりそめに存を図らんとせば)―内モンゴル大学における一日本人モンゴル史研究者の教育活動―(二)」

2017年冬、内モンゴル大学モンゴル歴史学系のボヤンデルゲル教授から三度目の招聘を受けました時点で、私は満年齡49歳。織田信長の享年も越え、後半生を如何に生きるべきかを具体的に考え、それらの方策の一部をすでに実行に移しておりました。
そもそも、日本国内の大学に就職するための教員の公募情報は、2016年を最後に、見ること自体をやめてしまいました。と言いますのは、知人の日本中世史研究者(ただし、ネット上の付き合いで、現世にて相まみえたことはありません)から、勤務先の大学に公募が出た東洋史専任教員への応募を勧められ、それに応じましたものの、通ったのは、私が助手をしていた時にまだ学部学生であった若手でしたし、また、或る大学から、自分の専門分野と完全に合致する公募(極めて稀です)がようやく出ましたが、これにも落とされまして、私が日本国内ではほとんど必要とされていない、という現実をあらためて確認できたからです。まさしく、わが身を「えうなきものに思ひなして」の境地です。……


亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第16回」

今回は、台湾の住宅事情について紹介したい。
台湾に来て初めて住んだのは、大学が運営する新人教師用の宿舎であった。まだ日本にいる頃に、空いている部屋から住みたい部屋の候補を事前に申請し、抽選で決めるという方式であった。11階建ての建物だったので、とりあえず上から空いている部屋を機械的に10室ほど申し込み、4階の部屋に当たった。
荷物の輸送は、船便と航空便の2種類があった。船便の方が安いが、届くのにかなり時間がかかる。迷ったが、授業の準備にかかるであろう時間も考慮し、航空便を選択した。
お金がかかる。置き場所に困る。積ん読が嫌い。以上3つの理由で、私は極力本を買わないようにしていた。原則、必要な本は京大の図書館で借りるようにしていた。おそらく、同業者の中ではいちばん蔵書が少ないと思う。とは言え、PD時代に研究費を使い切るためにかなりの本を購入しており、本を入れたダンボール箱はそれなりの数になった。この輸送料で、貯金の大半を使い果たした。……


佐藤信弥「中国古代史の史料を読む 第2回:始めて俑を作る者」

前回に続いて今回も『孟子』の文章を取り上げる。

仲尼曰、「始作俑者、其無後乎。」為其象人而用之也。如之何其使斯民飢而死也﹖
【仲尼曰く、「始めて俑を作る者は、其れ後無からんか」と。其の人を象りて之を用ふるが為なり。之を如何ぞ其れ斯の民をして飢ゑて死なしめんや。】

梁の恵王(魏の恵文王)との問答において孟子が仲尼(孔子)の言葉を引いたもので、最初に俑を作った者は子孫が途絶えてしまったろう。なぜなら人間に似たものを作ってこれを用いたからであると言うのである。「俑」というのは、墓の副葬品として用いるために木などで人をかたどって作った人形を指し、日本でいう埴輪に相当する。
この段ではまず孟子が恵王に「人を殺すのに杖殺するのと刀剣で殺すのと違いがあるか」「刀剣を用いるのと悪政によって殺すのと違いがあるか」という問いかけをし、両方とも「違いはない」という解答を導き出している。そして厨房には肉が蓄えられ、厩舎には馬が飼われている一方で、民は飢えている状況で、獣同士が共食いをするのすら人はこれを憎むのに、獣を引き連れて民の父母(君主)としてこれを飢えさせているのでは、民の父母たる資格がないのではないかということでこの文章に続く。最後の「之を如何ぞ其れ斯の民をして飢えて死なしめんや」というのは、人間に似たものを作ったことですらここまで問題視されるのに、生きた人間を餓死させるのはいかがなものかと締めくくっているわけである。……


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