学会情報

中国史史料研究会 会報第25号:試し読み

表紙は青羊宮(中国・四川省成都市)。


二階堂 善弘「張天師の跡目争い」

長い歴史を持つ張天師

「張天師」と聴いても、ピンとくる日本人はそう多くはないと思う。

『水滸伝』の冒頭で、百八の魔星を解き放ってしまった話に出てくる、というと、なんとなく思い起こすかもしれない。

『三国志演義』の読者であれば、四川の漢中を支配していた「張魯」という人物に心当たりがあるかもしれない。実は、張魯は第三代目の張天師である。

張天師とは、道教の宗家を意味する。

キリスト教のカトリックであれば、ローマ教皇が代々その位を継ぎ、教会の代表となる。日本の仏教なら、たとえば天台宗の座主は、円仁以来、ずっと天台宗のトップとして選ばれる。それと似たようなものである。ただ、張天師の場合は世襲なので、むしろ浄土真宗の大谷家に近いかもしれない。

とはいえ、張天師は中華の道教全体を代表するものではない。中国では、道教は北方に広がる全真教と、南方を支配する正一教に分かれている。張天師は、南方の正一教のトップである。その総本山は、江西省の龍虎山である。

道教の成立については、研究者間で意見が分かれている。老子や荘子などの道家から始まるという説は、いまはかなり有力である。ただ、道教は後漢末の太平道、五斗米道から始まるとみなす意見も依然として強い。

太平道は張角が率い、その後、黄巾の乱を起こすことになる。三国時代の始まりで、曹操や劉備などの三国の群雄は、黄巾の乱を討伐することで頭角を現していく。

天師道は、信者に五斗の米を要求したということから、五斗米道とも呼ばれる。この天師道を創始したのが、初代張天師、すなわち張陵である。後世、張道陵と呼称される。……


赤坂恒明「苟且図存(かりそめに存を図らんとせば)―内モンゴル大学における一日本人モンゴル史研究者の教育活動―(一二)」

フフホト到着二日後の2018年3月27日、宿泊所「錦江之星」ホテルにおいて左手中指を挟んで爪を潰すという非常事態が勃発し、とりあえず止血措置は自分で済ませましたが、急遽、日本語を話すことができる先生がたに救援を求めました。しかし、内モンゴル大学の先生がたも、それぞれ御担当の授業がおありです。日本への留学経験がある、日本語に堪能な先生がたは、全員、ご多忙でしたので、ボヤンデルゲル先生は、ご自身の新弟子で日本語ができるという大学院生、G君(モンゴル民族)をホテルの部屋に遣わしました。このG君、日本語の文献は読めても、会話となりますと、私の外国語会話能力とどっこいどっこい、良い勝負、といったところです。

さっそくG君に連れられて、「錦江之星」ホテルの南西、歩いて数分ほどの昭烏達路394号に位置する病院、「呼和浩特市賽罕区医院」へと行きました。

この病院は、昭烏達路に西面する、五階建てですが小ぢんまりとした、やや古さを感じさせる建物で、壁には縦書きで「精医仁愛 務実進取」と大書されております。

病院に入りますと、診察に至るまでの手続きが非常に煩雑で、こちらの窓口からあちらの窓口へとタライ回しにされ、階段を上がったり下りたりと右往左往、ともかく大変でした。G君でさえウロウロと行き先を探すのに難儀しておりましたので、私一人で初診を受けることは、到底ムリそうです。

まず、診察券を発行する手続きですが、所定の書類に私が必要事項を書き込みまして窓口(格子付きであるのが印象的です)に提出、その記入済みの書類を、病院の事務員が病院側の書類に、いちいち手で書き写すのですが、それを窓口の外側から観察しておりますと、私が書き込んだ数字とは明らかに異なった数字を書き写しております。私の手書き数字は、他人が読み取れない程ひどい悪筆であるとも思えません。そもそも私がケガをしたのは利き手でない左手であり、右手にはまったく支障がなく、字も普通に書いております。

要するに、病院の事務員にとりましては、患者は通りすがりの「一見さん」的な外国人にすぎませんので、たといテキトーな数字を書類に書き写したとしても、それによって問題が生じるということはない、ということなのでしょう。なるほど、本質的に問題がない枝葉末節のドウでもよいことは、わざわざ気を付けるにも及ばない、という判断は、確かに合理的です。……


亀田俊和「亀田俊和の台湾通信 第26回」

よく感じることのひとつに、台湾の人たちの信心深さがある。特に、クリスチャンが意外に多いようだ。街のあちこちに教会がある。日本のキリスト教会とは建物の形が違うので、しばらく教会だと気づかなかった。また、学生たちにもクリスチャンがけっこういて、ときどきそのことを教えてくれる。

そして、当然のごとく仏教も盛んである。しかも特に日本統治期以来、日本の仏教界との交流も続いているようである。今回は、それについて書いてみたい。

私が台湾の仏教に興味を持つようになったきっかけは、ある日野川博之さんという方にメールをいただいたことである。野川さんは早稲田大学卒で大学院生時代に台湾大学に交換留学し、台湾の大学で教えた経験もあるそうである。現在は故郷の横浜市にお住まいである。漢詩が詠める方で、私のことを詠んだ漢詩を最初のメールに書いて送ってくださった。そのことに、まず驚いた。

やがて、漢詩集を御恵送くださった。それが、野川博之『疫中七絕日記 2020秋―2021夏於橫濱』(好文出版、2022年)である。タイトルから窺えるように、新型コロナが流行っていた時期に、横浜を中心に野川さんが詠った100篇の漢詩集である。原詩と訓読と日本語の口語訳があるのは当然として、野川さん自身の解説が中国語で記されている。中国語が堪能であるだけではなく、漢詩が詠めてその解説も中国語で書ける。本当にすごいと思う。

野川さんのご専門は、仏教学であるとのことである。黄檗宗をメインとする明清仏教と、時宗をメインとする日本の浄土教を専攻されている。野川さんが台湾の仏教寺院を紹介している本を刊行されていることを知り、Amazonで購入してみた。それが、東海亮道編、陳水源・黄櫻楚監修、野川博之著『台湾三十三観音巡拝』(朱鷺書房、2004年)である。

平成15年(2003)、本書の監修者である陳水源氏(観光局顧問)・黄櫻楚氏(本霊場聯誼会事務長)、そして台湾留学中だった野川さんが台湾各地の臨済宗を中心とする寺院を巡礼した。折しもSARSが流行した大変な時期だったとのことである。これらの寺院について、野川さんが一般向けに紹介したのが本書である。……


 

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